「ゆりかごに預けられ今がある」 1人目の18歳、感謝と使命感

 ワカモノの現在地第6部①

 薫風が吹く晴れた日だった。2007年5月10日午後3時5分、慈恵病院(熊本市西区)。「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)への預け入れを知らせるブザーが響く。看護師2人が駆け付けると、保育器にちょこんと座る子がいた。3歳の男の子だった。

 「パパが(ゆりかごの扉を)閉めていったよ」-。にこにこして、何度も言う。親が育てられない子を匿名でも預かるゆりかごが産声を上げた初日。託された1人目の子は、大学生になった。「扉があって…一部分だけを覚えています」と宮津航一さん(18)=同市東区、コラージュ右=は振り返る。

 航一さんは同じ年、宮津美光(よしみつ)さん(64)、みどりさん(63)夫妻の里子になった。息子5人の子育てが一段落して里親登録したばかり。「もう心配せんでええよ」。美光さんは、初めて会った航一さんを膝の上に乗せて包んだ。

 転んでも泣かず、甘えない3歳児。「いろんなことを感じていたんだろう」と夫婦は毎晩、川の字で寝た。「泣いてもいいんだよ」と繰り返し伝えた。「抱っこ」。航一さんが子どもらしさを見せたのは1カ月後。ゆりかごを取り上げるテレビを見て「入ったことがある」と無邪気に笑った。

 3歳までの記録や写真はない。小学校低学年の生い立ちを振り返る授業では長兄の写真を使った。「兄ちゃんに似てるし、きっとこんな感じ」と思い込もうとしたけど、自分を知りたい気持ちも芽生えた。

 父ではなく別の親族がゆりかごに預けたこと。生みの母は0歳の時に交通事故で他界したこと。小学2年で知った。

 その後、母の写真がいくつか手に入った。くせっ毛の髪でほほ笑む女性。「自分とそっくり」と心がないだ。「まっすぐ育った」(夫婦)のは「自分の子どものように大切にしてもらい、不安を感じることはなかったから」と語る。

 養子縁組をして法的にも「家族」となり1年と少し。この15年、地域の子どもの見守りも全力投球の夫婦は、航一さんにとって海を航(わた)る「船頭」であり続けた。同じように子どもに寄り添う活動をしたい。昨年6月から子ども食堂を始めた。

 18歳の「大人」となり、ゆりかごの当事者として使命感が強くなった。「ゆりかごがあったから今の生活がある。多くの命を救った功績と必要性を伝えたい」

      ∞ 

 隠したり、後ろめたさを感じたりする子がいるかもしれない-。航一さんが心を砕くように、ゆりかごを経て陰に暮らす子もいる。  (鶴善行、西村百合恵)

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