【そもそも解説】石油危機って何?原因は?日本にはどんな影響が?

有料記事そもそも解説

伊沢健司
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 ちょうど50年前、中東の石油が手に入らなくなるかもしれないという恐怖(きょうふ)が世界を襲(おそ)い、物価高や不況(ふきょう)が広がりました。高度経済成長を続けてきた日本の転換(てんかん)点にもなった「第1次石油危機(オイルショック)」です。何が起き、どう乗り切ったのでしょうか。

 Q 第1次石油危機とは?

 A 1973年10月に始まった「第4次中東戦争」が引き金となり、中東産油国が原油価格を大幅(おおはば)に上げたことから起きた世界経済の混乱だ。

 エジプトシリアイスラエルへの攻撃(こうげき)を始めたのを受けて、イスラエルと敵対するサウジアラビアなどの中東産油国は原油価格の70%の引き上げや段階的な減産を打ち出した。

 さらに親イスラエルの米国やオランダなどを「敵対国」とみなして禁輸。「中立国」は毎月5%の段階的な供給削減(さくげん)、「友好国」は供給を維持(いじ)し、イスラエルに近い国々に圧力をかけた。「石油戦略」と呼ばれ、石油が政治的な武器となった。その後、原油価格は3カ月で4倍に急騰(きゅうとう)した。

 Q 日本への影響(えいきょう)は?

 A 石油の8割近くを中東からの輸入に依存(いぞん)してきた日本は中立の立場をとってきた。しかし、親イスラエルの米国と同盟関係にあったことや、中東情勢に精通した専門家や外交官が少なかったことから、政府は日本がどの分類になったのか判断できなかった。「石油が途絶(とだ)え、物不足になるかもしれない」との不安につながった。買いだめの動きが広がり、スーパーからトイレットペーパーや洗剤(せんざい)が消えた。便乗値上げをする店も現れ、物価は急上昇(じょうしょう)した。

 翌74年の消費者物価(生鮮品を除く総合指数)は20%超上がり、福田赳夫(たけお)蔵相(当時)は「狂乱(きょうらん)物価」と呼んだ。74年度に経済成長は戦後初のマイナスとなり、「高度経済成長」が終わったとされる。

 Q どう乗り切った?

 A 日本政府は「友好国」に…

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