本編後に小説版とかで戦ってるやつ
「ちょこまかと動き回ることしかできない産まれぞこないが!」
挑発にしては随分と安直で、罵倒にしてはあまりにも稚拙であるその言葉を暁闇は内心鼻で笑った。
もっと腹に据えかねることを言う男を知っている。強さであれに勝てないのだからせめて性格の悪さくらいでは勝ってほしいものだ。最も今も椅子に括り付けられているだろうあの男のような、回りくどく嫌味な御高説を望んで賜りたいわけではない。
しかしこのまま千日手になった場合、不利になるのは自分だろうと冷めた頭で考える。暁闇の大光真神は長期の継続戦闘に向いた卍解というわけではない。今使っている力も……そうでない力も。
「例えるほどに赤ん坊が好きなんだったら、アンタを赤ん坊にしてやるよ」
それまで高速で動いていた光がピタリと止まる。少し離れた場所に静止した暁闇の顔は男には逆光で判別できなかった。
光輪から放たれる光は変わらず煌々と辺りを照らす。動きが止まったからこそそれは顕著で、暁闇から伸びる影だけでなく男の足元にも色濃く影が浮かぶ。
言葉の内容を訝しみ口を開こうとした男は続けて聞こえてきた言葉に更に違和感を強くする。
「"産まれてきたのは俺じゃない"」
やけに響く声だった。
背負った光輪に、インクのシミのようにじわりと闇が滲み広がっていく。それは瞬く間に広がり、まばゆいばかりの光に変わって闇が差した。
そしてそこから月夜の湖面のように薄く光る、得体の知れない何かがゆっくりと暁闇に覆いかぶさるようにして這い出して来るのを信じられないものを見るような気分で男は眺めていた。
本能的な嫌悪感で総毛立つ。あり得ざるものだというのに、あれは産まれてくるのだと頭が理解してしまう。
「なんだ、それは」
「俺の卍解、知ってるだろ?」
先程までなら鼻で笑いながら知っていると答えられただろう。だが今の状況でそれができるほど現状が理解できないわけでもなかった。
知らない。これは、知らない。
本能的な恐怖で向かっていこうとした男の足は、嫌な音を立ててガチリと食い込んだトラバサミに阻まれた。
「大人なら赤ん坊の誕生を黙って見守らないとな」
そう告げる暁闇を覆い隠すように、ついに全身を表した何かがずるりと産まれ堕ちた。粘着質な音を立て地面にとけるようにゆっくりと沈んでいくその姿は、潰れた海月にも傘の中から手を伸ばす複数の子供達にも見える。
逆光では判別できなかった暁闇の顔は、揺らぐ湖面の向こうで異様なまでに凪いでいた。
「は、産まれぞこないの卍解なぞ……ッ!」
不意に手の中身が重くなる。今まで持っていた斬魄刀が持つことに耐えられないほど重く感じ、男は言葉を詰まらせた。
斬魄刀だけではない。装束が、手足が、頭が重い。ぐらりと体が揺れて受け身も取れずに床に転がる。
まるで一人で立つことが出来ない赤子であるかのように。
「言っただろ、アンタを赤ん坊にしてやるって。その子もお揃いがいいってさ」
その子、と目線で示された先には産まれ堕ちて地面に沈んだあの異形が縋り付くように絡まるようにじわじわと足元から浸食して来ているのが目に入る。
白い紙が黒いインクで染まっていくように、存在自体を侵食される。同じ色になっていく。否が応でも理解させられた、たった今産まれ堕ちたものと"同じもの"になるのだと。
漠然と横たわっていた恐怖が明確に形を得たように、
「あ、だ……あぅ」
足元に絡みつく悍ましいものに対してまとまらない思考で言葉を発しようとした男の喉から出たのは、赤ん坊のような喃語だった。
愕然と目を見開く様子に暁闇は嘲るように薄く笑う。あれほど人を赤子扱いしておきながら、産まれたばかりの赤ん坊というのがどういうものか全く理解していなかったらしい。
「産まれたばかりの赤ん坊に、言葉が話せるわけがないだろ?」
当たり前のことだ。産まれたばかりの赤ん坊が立てないのも、話せないのも一体何がおかしいというのだろうか。寝返りすらままならない赤子なら、その手に斬魄刀など持てるはずもないというのに。そう、今の男のように。
暁闇は手の中で大人しくしている己の斬魄刀を想った。自分に応えて懸命にそれらしく戦ってくれているこの刀は、本来そういったものではない。
「俺の斬魄刀は戦いには向いてないんだよ」
薄く水の張った床を歩く足音が近づいてくるのを男は伏したまま聞いていた。
声は恐ろしいほどに平坦で……それでいてまるで真昼の往来で知り合いと他愛も無い話でもしているかのような穏やかな響きすらあった。それだというのに感情が根こそぎ欠如したそれはどこか作り物めいて薄ら寒く、体を冷やす雨のように纏わりついてくる。
振りほどくことはできない、這って動ける様になるにはまだ早い。手の中にある斬魄刀を自らの意思で離すことすらできそうにない。まるで本当に産まれたての赤子のように、寝返りすらままならないまま足音が止まる音だけが鮮明だった。
「赤ん坊の頸を刎ねるのは、戦いじゃなくて……非道だもんな?」
ひたり、と首元に添えられた斬魄刀から逃れようにも四肢は思う通りに動かず、身動ぎすらも満足にできない体では顔を上げることすらままならない。目はかすみ、確かに見えるのは倒れ伏す己の手だけだというのに、相変わらず声だけはやけに鮮明であることに男は身震いした
死の恐怖が首元まで這い上がってきたことで、己の思考が明瞭だということに疑問を抱かなかったのは男にとって唯一の幸福であっただろう。あるいは何もわからなくなれば恐怖すら感じなくなったのかもしれない。
「俺もアンタと同じ、悪い大人だよ」
血しぶきとともに上がった断末魔の悲鳴は、どこか歪に響く赤子の産声に似ていた。