時に時勢に見放され、時に敵襲に遭い、時に身内に裏切られる――。栄華興隆から一転して敗戦に直面したリーダーが、おのれの敗因と向き合って問わず語りする連載「敗軍の将、兵を語る」を、「日経ビジネス」(有料)では原則毎号掲載しています。連載の魅力を知っていただくために、2018年3月の月曜から金曜まで、過去2年間に登場した「敗軍の将」たちの声を無料記事として転載・公開します。

(日経ビジネス2016年6月20日号より転載)

地域の顔として半世紀以上、人気を博した東京・大森の百貨店が閉店。今年6月30日、大型店「MEGAドン・キホーテ」として生まれ変わる。 多額の負債を抱え、後継者も不在だったことが思わぬ結果を招いた。

[ダイシン百貨店元社長]
西山 敷氏

1947年、東京都生まれ。69年、工学院大学建築学科卒業後、日産建設入社。その後、長崎屋でショッピングセンター開発などに携わる。77年、商業建築計画研究所を設立。2004年、ダイシン百貨店取締役、2006年、社長就任。2014年、社長を退任。

SUMMARY

ダイシン百貨店と閉店の概要

1964年、東京都大田区に開店。2014年、投資ファンドの傘下に。2015年3月からドンキホーテホールディングスの事業会社ドン・キホーテと業務提携し人材交流や共同仕入れなどを進めた。2016年3月、ドンキホーテホールディングスがファンドから全株式の取得を表明。5月8日、ダイシン百貨店は閉店。改装後、6月30日にMEGAドン・キホーテ大森山王店として開店する。

 東京都大田区、JR京浜東北線の大森駅から徒歩約10分の場所にダイシン百貨店がオープンしたのは1964年、東京オリンピックが開催された年です。下町にある昭和レトロのデパートとして長年、親しまれてきました。

 ですが今年5月8日、ダイシン百貨店は閉店し、約半世紀の歴史に幕が下りました。

 私は建築設計が専門ですが2004年、取締役としてダイシン百貨店の経営に参画し、2006年から8年間、社長を務めました。その間、地域住民に必要とされ、愛される店作りを進めてきました。「半径500m圏内、シェア100%」の大方針を掲げ、超地域密着経営を実践。その独自の手法から、テレビや雑誌などメディアでもたびたび取り上げられたほどです。おかげで、「大森の顔」としてすっかり定着し、特に高齢者の方々から支持されていました。

 それだけに私の退任後、まさかこんなことになろうとは夢にも思いませんでした。残念至極としか言いようがありません。

東京都大田区、JR京浜東北線大森駅から徒歩約10分の場所にあったダイシン百貨店。地下1階、地上5階建てで売り場面積は約1万平方メートル。高齢者でにぎわう「下町のデパート」として知られていた
東京都大田区、JR京浜東北線大森駅から徒歩約10分の場所にあったダイシン百貨店。地下1階、地上5階建てで売り場面積は約1万平方メートル。高齢者でにぎわう「下町のデパート」として知られていた

後継者不在で売却を決意

 ダイシン百貨店は1948年の創業です。90年代には大森店を含めて食品スーパーなど7店を運営。売上高も250億円を超えました。その頃から私はコンサルタントとして店舗設計を請け負っていました。

 ダイシン百貨店は無借金経営の優良企業を標榜していましたが、実態は違っていました。過剰な設備投資と放漫経営で多額の借金を抱えていました。2004年に2代目社長が病気で急逝した後、実態が明らかになり借入金は100億円以上に膨れ上がっていました。

 ですから経営に参画後、まず資産リストラを進めました。利益が出ている大森店以外を閉店、売却するなど手を尽くして借入金を20億円程度に圧縮できました。一方で生き残りのため、大森店は地域密着型の個性的な店舗へ位置付けなおしました。そうしないと大型スーパーやコンビニエンスストア、100円ショップなどが近隣に出店するたびに客を奪われてしまうからです。

 地域の高齢化が進む状況から「高齢者にやさしい店」に徹することにしました。求められる商品はたとえ売れ筋ではなくとも売り場に残す。刺し身4切れ、豚肉40gといった少量パックを置き、無料配送サービスや近所の巡回バスも始めました。一連の改革の結果、常連のお客様が増加。売上高は80億円ほどですが、安定して利益を確保できるようになりました。

 一方、施設の老朽化はかなり進んでいました。いくら「昭和レトロ」が売りとはいえ、お世辞にもきれいとは言えない。耐震性にも不安がありました。そこで43億円をかけて全面的に建て替える決断をしたのです。

 ところが、改装工事中の2011年3月11日、東日本大震災が起きました。幸い大きな被害はありませんでしたが、この影響で工期が半年以上も遅れてしまった。一部は先に開店させていましたが、リニューアル後の立ち上がりには少なからぬ打撃となりました。

 また、建て替えのための借り入れで、70億円程度の借金を抱えることになりました。もちろん、これについてはリニューアルが軌道に乗るまで1~2年辛抱すれば、あとは十分返済していけると見込んでいました。

 リニューアル後は「食」を中心に品質のいい商品を販売する体制に変えました。併設したベーカリーやレストランも材料にこだわりました。温浴施設や屋上農園など高齢者や家族が集えるコーナーも充実させました。その結果、客単価は以前よりも上がり売上高もリニューアル前の水準に戻りつつありました。それでも、取引銀行は返済のためにとにかく利益が欲しいと経営に対していろいろと口を出してきた。「冗談じゃない」と思いましたよ。

 ただ、私も当時、65歳を超えていたし後継者も育ってきませんでした。さらに、体調を崩したこともあり今後の経営に関して弱気になってしまった。そうした背景からM&A(合併・買収)を模索しました。大手に資本参加してもらい財務基盤を強化して、ダイシン百貨店をこれまで通りのコンセプトで継続、発展できればと考えたのです。

「話が違う、やられたな」

 売却先としてまず、頭に浮かんだのはイオンです。イオンへの売却を前提に取引銀行と資産査定も始めました。

 ところが、別の取引銀行から「ウチに任せてほしい」と横やりが入りました。そして紹介されたのがドンキホーテホールディングスでした。銀行の力関係もあり、ドンキホーテに売却する話はどんどん進みました。

 ただ、手続き上、ドンキホーテが直接買収せず、投資ファンドがいったん買収することで合意しました。その時、買収後もダイシン百貨店を残す条件をつけました。そして2014年10月、私は社長を退任。半年間は形だけの会長職にありましたがその後、退職して全く経営に関わっていません。

 するとどうでしょう。今年3月にドンキホーテは「ダイシン百貨店を閉店、6月末、『MEGAドン・キホーテ』にリニューアルする」と発表しました。「ダシイン百貨店の業績が悪化したので、投資ファンドから申し出があり、ドンキホーテが買収して再生する」などと新聞で報じられました。この記事を目にした時、「話が違う、やられたな」と思いました。

 うがった見方かもしれませんが、もともと、ダイシン百貨店を残すつもりはなく「ドン・キホーテ」へのリニューアルを前提にファンドを介したのだろうと思いました。私の退任後、売り上げを伸ばすような手も打たず、むしろ業績を悪化させるような動きも散見されましたから。

 ただ、仮にそれが真実だとしても、結局はそれを見抜けなかった私の能力不足が招いたことです。今となっては仕方のないことだとは思っています。

 M&Aに関与した銀行、コンサルタントとも経営効率一辺倒で、とにかく、カネ、カネ、カネなんです。地域拠点としての構想なんてまるで関心がない。

 ただ、ドンキホーテの店舗自体が悪いとは言いません。むしろ、新たな大森の顔として地域に根ざした店になってほしいと願っています。

まずは会員登録(無料)

登録会員記事(月150本程度)が閲覧できるほか、会員限定の機能・サービスを利用できます。

こちらのページで日経ビジネス電子版の「有料会員」と「登録会員(無料)」の違いも紹介しています。