志田陽子教授が語る「民主主義のプロセスの大きな問題」 憲法53条・国会召集を巡る最高裁判決を読み解く

2023年11月3日 06時00分
 憲法53条は、一定数の議員が求めれば内閣は臨時国会の召集を決めなければならないと定める。2017年に安倍内閣が臨時国会の召集要求に98日間応じなかったのは違憲だとして、野党議員らが起こした訴訟では、最高裁が53条に関する初の判断を示し、「個々の国会議員の権利を保障したものではない」として議員らの請求を棄却した。だが、判決をよく読むと、今回の判断の重みが浮かび上がる。憲法53条の意義とともに、武蔵野美術大の志田陽子教授(憲法学)に聞いた。(聞き手・小椋由紀子)

 憲法53条に関する最高裁判断 安倍内閣の対応に野党議員らが損害賠償を求めた訴訟を巡り、最高裁が9月12日に示した憲法53条に関して初めて示した判断は、個人の損害救済を図る国家賠償法の適用対象ではないとして違憲性を判断せずに訴えを退けた。5人の裁判官のうち行政法学者出身の宇賀克也裁判官は「臨時国会での審議を妨げられるのは議員の利益の侵害」と主張し、安倍内閣の対応を「特段の事情がない限り違法」とする反対意見を付けた。

◆「53条は主権者が国に意思を伝えるルートを保障している」

 —国民にとって憲法53条が存在する意味は。

武蔵野美術大学の志田陽子教授

 「選挙で選ばれた議員が、国会で自分たちに代わり議論をする。53条は民主主義のプロセスで、主権者が国に意思を伝えるルートを保障している。特に少数派の議員の求めで国会を開くことで、足元から問題提起ができる。内閣が多数派や財界の声ばかりを聞いている時に、少数派の議員が『こちらの国民の声も聞け』と言うために臨時国会はある。数の論理では決定済みの事柄でも、まだ問い直したいことがある時、その議論には国民の知る権利にとって価値がある」
 —最高裁は安倍内閣の対応の違憲性を判断せず、国家賠償法の対象外だとして訴えを退けた。
 「臨時国会の召集要求は巡り巡って主権者のための権利だが、それが実現されない状態にある時に、人権の番人である最高裁の腰が引けてしまっている。ただ、判決を丁寧に読むと希望も見えてくる。裁判所は一貫して高度な政治問題から身を引いてきたが、今回は、そもそも議論の場が開かれないという手続きの問題と整理し、『法律上の争訟に当たる』と示した。今後、臨時国会召集が遅れた場合、損害賠償の請求ではなく、(特定の権利が存在するかどうかを確定する)確認訴訟の形で訴えれば訴訟を受け付けると示唆した。将来に向けて少し芽を出したと言える」

◆「国会を開いて議論しても無駄だと思ってしまうと危険」

 —臨時国会召集を巡る問題にどう向き合うべきか。
 「この問題に国民が関心を持つかどうかは、民主主義の質を試すリトマス試験紙のようなもの。政治への不満や苦しみの声を上げても、国会という正規ルートに乗らないと政策に反映されない。内閣が決めたなら国会を開いて議論しても無駄だと思ってしまうと危険だ。国民が国会を通じて内閣を監督するのが本来の関係。主権者が無力感にとらわれて目を向けなくなると民主主義の本質がなえてしまう」

衆院本会議(資料写真)

 —国政では臨時国会召集の問題だけでなく、安倍政権や岸田政権での安全保障政策の転換など、「国会軽視」と言える状況が続く。
 「国の政策は私たちの生死に関わる。医療の『インフォームドコンセント』(十分な説明と同意)と同様、国民がきちんと情報を得て判断するのが重要。だが、国民に議論を見せず、判断の機会を与えずに決める手法が取られている。少数派の要求に基づいた臨時国会の召集に応じないことで、主権者が国に意思を伝えるルートをふさいでいる。民主主義のプロセスとして大きな問題だ。最高裁は次に訴訟が起きた時、今回示した道筋に沿って誠実に応えるのか、主権者である国民が注視する必要がある」

 志田陽子(しだ・ようこ) 1961年、東京都生まれ。武蔵野美術大造形学部教授。東京都立大客員教授。早稲田大院法学研究科で博士(法学)。憲法研究者。日本女性法律家協会幹事。憲法理論研究会運営委員長。著書に「『表現の自由』の明日へ」「映画で学ぶ憲法Ⅱ」など。

関連キーワード


おすすめ情報

政治の新着

記事一覧