我が友「鎌ケ谷のユニ坊主」     この世を去る(2020/01/08)

題名の通りの話で、我が友「鎌ケ谷のユニ坊主」と呼ばれた、
マツモトタケシくんは、ちょうど2年前になる、2020年1月8日に
亡くなりました。

彼が亡くなった話を、なぜ今頃に?という話もあるのですが
それは、切り出すきっかけを失ってたというのもあります。
実際に、自分が彼の訃報を聞いたのも、亡くなってから
半年後の2020年初夏の頃でした。

これは、誰にでもあることなのかもしれないけど、
SNSを通じての友人だけど、携帯電話と本名以外は
情報交換をしていない・・・となると、基本、連絡手段は
携帯電話のみになる訳でして。彼の家族からしてみれば
SNSでの交友関係までは、分からない訳で・・・。
さらに、2020年春から始まった、コロナ禍の関係で、
本来なら、春先から顔を合わす機会のある、彼と共通の友人たちとも
初夏まで顔を合わす機会が失われてしまったのも、
自分たちが把握するまでに、時間がかかってしまいました。

「亡くなった」と「お墓が東京都下にある」以外の情報は
今のところ、持ち合わせてません。
彼のご両親と、定期的に連絡を取り合っており「コロナ禍が落ち着いたら
ぜひ、線香を上げに来てください」と、お話を頂戴しておりますが、
残念ながら、まだその機会が得られていない状況です。
彼のお墓参りに行ったのですが、確かに彼の家のお墓に
彼の名前が刻まれているけど、2年経っても実感は沸かないです。

彼とは2006年からの付き合いでした。
最初は、鎌ケ谷でよくお会いしますねというところから
一緒にご飯を食べに行ったり、予定を合わせている訳でもないのに
2月1日に、名護球場で顔を合わせたり、北海道内の遠征先の球場で
顔を合わせたりする関係でした。いわゆる「戦友」という関係でしょうか?

我が家の息子が生まれた際、一番最初に、病院に来てくれたのも
共通の友人と運転手で来た彼でした。そして、うちの息子に
勝手に、本名とは違うニックネームを付けて帰っていきました。
名護キャンプで、彼とうちの息子が手をつないで歩いている姿を
キャンプ地のTV中継で映し出されて「ユニ坊主が子供を連れて
歩いている」と、ネット界隈がざわついたのも、いい思い出です。

最後に会ったのは2019年12月のファイターズ主催の懇親会の席でした。
紅茶を飲みながら「俺はイギリス出身だから紅茶をたしなむんだ」と
よく分からないことを言ってました。お前、東京都北区出身だろ?
まさか、それが最後の姿になるとは、誰も思っていなかった訳で。

誰にどのように伝えればいいんだろう?と思っていたのですが
どうしようかいろいろ考えながら、今日に至りました。
誰に伝えればいいのかも分からなかったというのもあります。
彼と親しそうな関係だった、鎌ケ谷育ちのプロ野球関係者には
これから、お手紙を書こうと思っています。
(すでに知っている方もいるのかもしれませんが・・・)

彼が亡くなって、実際に2年、経過した訳ですが、それでも
みなさんの記憶に彼が居るのであれば、それだけ、存在感が
あったということの証だと思います。
彼が亡くなったということとで、疎遠になりかけてた方と
連絡を取る機会が多くなりました。これは、彼からのプレゼントだと
素直に受け止めたいと思っています。
亡くなったとしても、記憶に残っている限りは、彼はみなさんの
心の中で、生き続けるのだと、思っています。

この文章を最後までお読み頂いた方にお願いがあります。
2023年、北海道北広島市に出来る、北海道日本ハムファイターズの
新球場に設置されるレンガに、あいつの名前を刻んでやりたいと思い
つい、かっとなって「KAMAGAYA NO YUNIBOUZU」と、
レンガを申し込んでやりました。
永久的に設置されるものでは無いとの説明は受けておりますが、
東京時代からのファイターズを愛した、彼の名前を、新しい球場に
しばらくの間、残してやりたいと思っております。
費用については、自分が払いましたが、もし、ご賛同頂けるようでしたら
お線香代代わりに、ご寄付を頂戴できれば幸いです。
もし、レンガ設置費用以上のご寄付が集まった場合は、彼のご両親へ
お線香代として、お送りさせて頂きたいと思っております。

最後に、ひとこと、言わせてください。

バーカ!

                         文責 やまじりょう

追伸
彼のご実家の連絡先、彼のお墓の場所については、
すべて情報ありますので、ご連絡頂ければ、ご紹介いたします。

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