政府が言う「マイナ保険証のメリット」検証 データはツッコミどころ満載 医師や患者よりビジネス優先か

2023年8月5日 12時00分
 マイナンバーカード、マイナ保険証をめぐるトラブル多発で、保険証廃止の撤回や廃止時期の延期を求める世論が強い中、政府は2024年秋の保険証廃止は当面動かさず、保険証代わりの資格確認書の有効期間を延ばす方針を決めた。なにがなんでも保険証廃止、マイナ保険証への一本化を進めたいようだが、なぜ政府はこれを推奨してくるのか。政府の言うメリットは本当なのか。もう一度確認してみたい。(宮畑譲、山田祐一郎)

◆河野氏が言う「現行保険証それなりの被害」は「5年間で50件」

 「今の保険証で困っていないというのはそうかもしれないが、なりすましや使い回しが現に起きていて、それなりの被害になっている」
 先月10日、河野太郎デジタル担当相が東京都内の講演でこう述べた。政府はマイナ保険証にすれば、不正利用が減るとのメリットを主張するが、本当にそうなのか。厚生労働省の国会答弁をたどると、実態としてどれだけの不正利用があったのかはよく分かっていない。

参院特別委の閉会中審査で答弁する河野デジタル相。左は松本総務相、右から2人目は加藤厚労相=7月26日、国会で

 3月17日、参院の厚労委員会で厚労省の担当者は、「なりすまし被害はどれくらい起きているのか」という野党議員の質問に「手元に具体的な資料がない」と答弁。さらに5月12日の参院地方創生・デジタル特別委員会では、「大変恐縮でございます。今、お答えする数字を持ってございません」と答えた。
 厚労省がやっと具体的な数字を挙げたのは5月19日。参院地方創生・デジタル特別委員会で「市町村国民健康保険(国保)では2017年から22年までの5年間で50件のなりすまし受診や健康保険証券面の偽造などの不正利用が確認されている」と明かした。ただ、数千万人規模の加入者がいる国保で、1年あたり10件が「それなりの被害」と言えるのか。

◆「不正請求、年600万件」は根拠なし

 他にも保険証の不正利用については、見過ごせない話題があった。「不正請求が年間600万件、その処理のための費用は1000億円を超える」というものだ。X(旧ツイッター)ではこの数字が独り歩きし、「紙保険証によるトラブル数が年間600万件ってすごいよね」「それがマジならオンライン資格確認で防止できる」という声も上がっていた。
 ただ、この数字は20年前に厚労省が外部に委託研究をした論文に、なんの根拠も示されずに出ているのみ。内容も不正利用そのものを検証した論文ではない。しかも、論文は「多くは単純な保険証の番号の間違い」としており、不正請求というより、事務処理ミスだったというべきものだ。
 これについて、全国保険医団体連合会は「これまでも医療機関では、現場の判断で必要に応じて患者に免許証など写真付き身分証提示を求めるなど健全運営に留意している」とする声明を公表。「個人情報漏えいリスクが高くなるマイナンバーカードを使ってまで本人確認を行うことは費用対効果上から疑問が大きい」と訴えている。

マイナンバーカード(一部画像処理)

 顔写真のない保険証を使ったなりすましへの注意喚起はこれまでも行われてきた。20年1月には、外国人労働者の受け入れ拡大を念頭に、厚労省が運転免許証などを使っての本人確認の必要性を示した通知を医療関係者に出している。医師の実際の感覚としてはどうなのか。
 東京都港区で内科クリニックを運営する仲田洋美院長は「確かに、無保険の人が知り合いに借りて医療機関を受診するといったケースはたまにある」と話す。ただ、その上でこう疑問を呈する。「不正利用がそれほど多いわけではない。運転免許など顔写真の入った身分証とセットで確認すれば済む話だ。これほど大きな労力をかけて、マイナカードと保険証をひも付ける必要があるとは思えない」

◆「質の高い医療」というが、情報反映は「最短で1カ月半」

 一方で政府は、マイナ保険証で受診した際、患者の診療・薬剤情報の履歴や特定健診の情報の提供に同意すると、「正確なデータに基づく診療・薬の処方が受けられ、質の高い医療の実現につながる」というメリットも強調する。
 だが、7月5日に行われた閉会中審査では、野党からそれらのメリットに対する指摘が相次いだ。
 マイナ保険証で医師が閲覧できるのは、診療・薬剤情報が3年分、特定健診情報が5年分。西村智奈美衆院議員(立憲民主)は「大きな病気をしたことがありますかと聞かれれば、10年前だろうが、20年前の大病だろうが口頭で伝えている。(3、5年という)この期間が適切なのか」と疑問を呈した。
 患者には医者に知られたくない情報もあるが、閲覧できる情報を患者が選択できるのか。加藤勝信厚労相は「ある診療だけを除外するというのは現行の仕組みではできない」。これに対し、前出の仲田院長は「同意する」「同意しない」の2つしか選択肢がないことを問題視する。「これでは、病歴や既往症、障害なども全部分かってしまう。自分の情報をコントロールする権利があまりにないがしろにされている」
 情報の提供に同意しなければ窓口負担は従来の健康保険証と同様の扱いとなり、同意した場合よりも高くなる。マイナンバー制度に詳しい清水勉弁護士は「本来、同じ条件の下で同意するかどうかを選択するべきであって、同意しないと不利益を被ることはあってはならない」と批判する。しかも、診療・薬剤情報が反映される時間は「最短で1カ月半」(加藤厚労相)。清水氏は「病院を1日で複数箇所回らざるを得ない人もいる。薬剤情報が即座に反映されなければ意味がない」と政府の強調するメリットを否定する。

◆医師が閲覧できる医療情報は「問診で可能」

 マイナ保険証で医療情報を提供することは、より良い医療に役立つのか。宮城県保険医協会理事の八巻孝之医師は「将来にわたって実際に役に立つイメージが持てない。今の進め方ではメリットになり得ない」と指摘する。医師が閲覧できる医療情報は「問診で患者や家族が答えてくれるので医療の現状は変わらない」とする。
 一般外来で、大量服用や転売を目的に睡眠薬を希望する患者や救急外来で意識がない患者の場合など、マイナ保険証が普及しても同意が得られないケースは想定される。八巻氏は「マイナ保険証に変わっても同意、不同意にかかわらず、より良い医療の実現はずっと先でトラブルが続く現状こそデメリットだ」と訴える。
 入院などで医療費が高額になった場合、限度額以上の支払い分が後で払い戻される「高額療養費制度」についても、政府はマイナ保険証なら「窓口での限度額以上の一時支払いの手続きが不要」とメリットを強調する。だが現行の保険証でも、オンライン資格確認ができる医療機関であれば、窓口で口頭で希望すれば手続きは不要だ。
 政府は、マイナ保険証を「医療DX(デジタルトランスフォーメーション)」の基盤と位置付け、医療情報を質の高いビッグデータとして分析・研究開発に活用する「データヘルス改革」を目指す。名古屋大の稲葉一将教授(行政法学)は「政府が強調するマイナ保険証の一体化によるメリットは医師や患者にとって限定的だ。医薬品会社などが求めるビッグデータを集めることが優先となっている」と指摘し、こう訴える。
 「政府は掲げる『質の高い医療』に定義がなく、患者側と政府でイメージに乖離かいりが生じている。本当に医師や患者のメリットを考えているのなら、政府は個々の人権と民主主義を重視すべきだ」

◆デスクメモ

 コロナ禍での給付金遅れなどを、日本がデジタル後進国だからだとし、「デジタル敗戦」と言う岸田首相。そんな後進国がなぜ、G7で唯一のマイナ保険証という大ジャンプを試みるのか分からない。「無理でも跳べ、それが突破力だ」と言うのか。デジタルとはほど遠い精神主義だ。(歩)

おすすめ情報