No. 1876 ウクライナ戦争の本当の歴史

The Real History of the War in Ukraine

by Jeffrey D Sachs

米国人はウクライナにおける戦争の真実の歴史と現在の見通しを緊急に知る必要がある。残念ながらニューヨーク・タイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、ワシントン・ポスト、MSNBC、CNNといった主要メディアは、国民に歴史を隠し、ジョー・バイデン大統領の嘘を繰り返す政府の単なる代弁者になっている。

バイデンは、昨年「あの男(プーチン)は権力の座に留まることはできない」と宣言した後、今回もまたロシアのプーチン大統領を誹謗し、プーチンの「土地と権力に対する卑屈な欲望」を非難している。しかしバイデンこそがウクライナへのNATO拡大を推し進め続けることでウクライナを終わりのない戦争に陥れようとしている張本人なのだ。彼は米国民とウクライナ国民に真実を伝えることを恐れ、外交を拒否し、代わりに永久戦争を選択している。

バイデンが長年推進してきたウクライナへのNATO拡大は米国の策略でありそれは失敗している。バイデンを含むネオコンたちは、1990年代後半からロシアが声高に反対してきたにもかかわらず、NATOをウクライナ(とジョージア)に拡大できると考えていた。彼らは、プーチンがNATO拡大をめぐって実際に戦争を起こすとは考えていなかった。

しかしロシアは、ウクライナ(およびジョージア)へのNATO拡大は、ロシアの国家安全保障に対する存亡の危機とみなしている。特にロシアとウクライナの国境は2000キロに及び、ジョージアは黒海の東端に位置する戦略的な立場にある。米国の外交官たちは何十年もの間この基本的な現実を米国の政治家や将軍たちに説明してきたにもかかわらず、政治家や将軍たちは傲慢かつ粗雑にNATO拡大を推し進めてきた。

今時点でバイデンは、ウクライナへのNATO拡大が第三次世界大戦の引き金になることを熟知している。だからこそ、バイデンは水面下でヴィリニュスのNATOサミットでNATO拡大をシフトダウンした。しかしバイデンは、ウクライナがNATOの一員になることはないという真実を認めるどころか、ごまかしてウクライナの最終的な加盟を約束した。実際には、バイデンは米国の国内政治、とりわけ政敵に弱く見られることを恐れて、ウクライナに継続的な血を流させることを約束しているのだ。(半世紀前、ジョンソン大統領とニクソン大統領は、故ダニエル・エルズバーグが見事に説明したように、本質的に同じ哀れな理由で同じ嘘をついてベトナム戦争を継続した)

ウクライナは勝てない。戦場ではロシアが勝つ可能性の方が高い。しかしたとえウクライナが通常戦力とNATOの兵器で突破したとしても、ロシアはウクライナのNATO加盟を阻止するために必要であれば核戦争にエスカレートするだろう。

バイデンはそのキャリア全体を通じて軍産複合体に仕えてきた。彼はNATO拡大を執拗に推進し、アフガニスタン、セルビア、イラク、シリア、リビア、そして現在のウクライナにおける米国を深く不安定化させる戦争を支持してきた。彼は、さらなる戦争と「大波」を望み、騙されやすい国民を味方につけるために目前に迫った勝利を予言する将軍たちに従う。

さらに、バイデンと彼のチーム(アントニー・ブリンケン、ジェイク・サリバン、ビクトリア・ヌーランド)は、西側の制裁がロシア経済を締め上げる一方で、HIMARSのような奇跡の兵器がロシアを打ち負かすという自分たちのプロパガンダを信じているようだ。そしてその間ずっと、彼らは米国人にロシアの6000発の核兵器など気にするなと言ってきた。

ウクライナの指導者たちは、理解しがたい理由から米国の欺瞞に付き合ってきた。おそらく彼らは米国を信じているのか、米国を恐れているのか、自国の過激派を恐れているのか、あるいは単に過激派で、ウクライナが戦争を存亡の危機とみなす核超大国に打ち勝つことができるという素朴な信念のために、何十万人ものウクライナ人を死傷させる覚悟ができているのだろう。あるいは、ウクライナの指導者の中には数百億ドルにのぼる西側の援助や武器からかすめ取ることで財を成している者もいるかもしれない。

ウクライナを救う唯一の方法は交渉による和平である。交渉による解決では、米国はNATOがウクライナに拡大しないことに同意し、ロシアは軍隊の撤退に同意するだろう。クリミア、ドンバス、米国と欧州の制裁、欧州の安全保障体制の将来といった残された問題は、終わりのない戦争ではなく政治的に処理されるだろう。

ロシアはこれまで何度も交渉を試みてきた。NATOの東方拡大を阻止しようとしたり、米国やヨーロッパとの間で適切な安全保障上の取り決めを見つけようとしたり、2014年以降のウクライナの民族間問題を解決しようとしたり(ミンスクIおよびミンスクII合意)、対弾道ミサイルの制限を維持しようとしたり、ウクライナとの直接交渉を通じて2022年にウクライナ戦争を終結させようとしたりしてきた。いずれの場合も、米国政府はこれらの試みを軽視、無視、あるいは妨害し、しばしば「米国ではなくロシアが交渉を拒否している」という大嘘をついた。JFKは1961年、まさに正しいことを言った。「恐れて交渉するのではなく、交渉することを恐れないようにしよう」。バイデンがJFKの不朽の名言に耳を傾けさえすれば。

バイデンと主流メディアがながす単純化されたナラティブを国民が乗り越えるために、私は現在進行中の戦争につながるいくつかの重要な出来事の簡単な年表を提供する。

1990年1月31日。ハンス・ディートリッヒ=ゲンシャー独外相は、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領に対し、ドイツ統一とソ連ワルシャワ条約機構軍事同盟の解体という文脈においてNATOは「東方への領土拡大、すなわちソ連国境への接近」を排除すると約束した。

1990年2月9日。 ベーカー米国務長官がゴルバチョフ・ソ連大統領と「NATO拡大は容認できない」と合意した。

1990年6月29日~7月2日。 マンフレッド・ヴォルナーNATO事務総長は、ロシア高官代表団に「NATO理事会と彼(ヴォルナー)はNATOの拡大に反対している」と伝える。

1990年7月1日。 ウクライナ議会は、「ウクライナソビエト社会主義共和国は、軍事ブロックに参加しない永世中立国となる意思を厳粛に宣言し、非核三原則(核兵器の受け入れ、製造、購入)を堅持する」という国家主権宣言を採択した。

1991年8月24日。 ウクライナは中立の誓約を含む1990年の国家主権宣言に基づいて独立を宣言する。

1992年半ば。ブッシュ政権の政策立案者たちはソ連とロシア連邦に対して最近行った公約に反して、NATOを拡大するという極秘の内部コンセンサスに達する。

1997年7月8日。 マドリードのNATOサミットで、ポーランド、ハンガリー、チェコがNATO加盟交渉開始の招待を受ける。

1997年9月〜10月。『フォーリン・アフェアーズ』(1997年9月/10月号)で、ズビグニュー・ブレジンスキー元米国国家安全保障顧問が、ウクライナの交渉開始を2005~2010年とするNATO拡大のスケジュールを詳述する。

1999年3月24日〜6月10日。NATOがセルビアを爆撃する。ロシアはNATOの爆撃を「国連憲章の明白な違反」とみなす。

2000年3月。 ウクライナのクチマ大統領は、「この問題は非常に複雑で、多くの角度があるため、今日、ウクライナがNATOに加盟する可能性はない」と宣言。

2002年6月13日。 米国が対弾道弾兵器禁止条約から一方的に脱退する。ロシア下院国防委員会副委員長は、この行動を「歴史的規模の極めて否定的な出来事」と位置づける。

2004年11月~12月。 ウクライナで「オレンジ革命」が起こる。西側諸国はこれを民主化革命とみなし、ロシア政府はこれを、西側諸国が画策し米国の表立った、あるいは秘密裏の支援によって作り上げた権力奪取とみなした。

2007年2月10日。プーチンは、ミュンヘン安全保障会議での演説で、NATOの拡大を背景に一極世界を作ろうとする米国を強く批判し、次のように述べた: 

NATOの拡大は、相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為であることは明らかだ。この拡大は誰に対するものなのか?そして、ワルシャワ条約解体後に西側諸国が表明した保証はどうなったのか?

2008年2月1日。ウィリアム・バーンズ駐ロシア米大使は、コンドリーザ・ライス米国家安全保障顧問宛に極秘電報を送り、「ウクライナとグルジアのNATO加盟希望はロシアの神経を逆なでするだけではなく、この地域の安定に深刻な影響を及ぼす懸念がある」と強調した。

2008年2月18日。 米国、ロシアの反対を押し切りコソボ独立を承認。ロシア政府はコソボ独立は「セルビア共和国の主権、国際連合憲章、国連安保理決議1244号、ヘルシンキ最終法の原則、コソボ憲法枠組み、ハイレベル・コンタクト・グループ合意」に違反すると宣言。

2008年4月3日。NATOはウクライナとジョージアが「NATO加盟国になるだろう」と発表。ロシアは、「ジョージアとウクライナの同盟加盟は、汎欧州の安全保障にとって最も深刻な結果をもたらす大きな戦略的誤りである」と述べた。

2008年8月20日。 米国がポーランドに弾道ミサイル防衛(BMD)システムを配備すると発表。後にルーマニアにも配備すると発表。ロシアはBMDシステムに強い反対を表明した。

2014年1月28日 。ビクトリア・ヌーランド国務次官補とジェフリー・パイアット駐日米大使がウクライナの政権交代を画策する通話が傍受され、2月7日にYouTubeに投稿された。その中でヌーランドは、「バイデン副大統領は取引成立に協力するつもりだ」と述べている。

2014年2月21日。ウクライナ、ポーランド、フランス、ドイツの政府は、ウクライナの政治危機の解決に関する合意に達し、年明けの新たな選挙を呼びかける。極右武装組織「右派セクター」などがヤヌコビッチの即時辞任を要求し、政府庁舎を占拠。ヤヌコビッチは逃亡。議会は弾劾手続きを経ずに即座に大統領の権限を剥奪する。

2014年2月22日。米国は即座に政権交代を支持。

2014年3月16日。ロシアはクリミアで住民投票を実施し、ロシア政府によると、ロシアの支配を支持する票が多数を占める結果となる。3月21日、ロシア下院はクリミアのロシア連邦加盟を決議。ロシア政府はコソボの住民投票との類似性を指摘した。米国はクリミアの住民投票を違法として拒否。

2014年3月18日。プーチン大統領は政権交代をクーデターと位置づけ、次のように述べた。「ウクライナでの最近の出来事の背後にいた人々は、別の意図を持っていた。彼らは権力を掌握しようとし、手段を選ばなかった。彼らはテロ、殺人、暴動に訴えた」。

2014年3月25日。バラク・オバマ大統領、ロシアを嘲笑してこう述べた。「ロシアは近隣諸国を脅かす地域大国だ、強さではなく、その弱さから」

2015年2月12日。 ミンスクⅡ協定調印。この合意は2015年2月17日、国連安全保障理事会決議2202によって全会一致で支持される。アンゲラ・メルケル前首相は後に、ミンスクⅡ合意はウクライナに軍事強化の時間を与えるためのものだったと認めている。ウクライナによって履行されることはなく、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領も合意を履行する意思がないことを認めた。

2019年2月1日。米国がINF(中間核戦力)条約から一方的に脱退。ロシアはINF離脱を安全保障上のリスクを煽る「破壊的」行為として厳しく批判した。

2021年6月14日。 ブリュッセルで開催された2021年NATO首脳会議で、NATOはウクライナを拡大し、含める意向を再確認する。「2008年のブカレスト・サミットで決定された、ウクライナが同盟の一員となることを再確認する」。

2021年9月1日。 「米・ウクライナ戦略的パートナーシップに関する共同声明」において、米国はウクライナのNATO加盟希望への支持を改めて表明。

2021年12月17日。 プーチンはNATOの非拡大と中距離・短距離ミサイルの配備制限を柱とする「安全保障保証に関するアメリカ合衆国とロシア連邦との間の条約」草案を提出。

2022年1月26日。 米国はロシアに対し、米国とNATOはNATO拡大の問題についてロシアと交渉しないと正式に回答し、ウクライナ戦争の拡大を回避するための交渉の道を閉ざした。米国は、「同盟への加盟国招請の決定は、すべての同盟国のコンセンサスに基づいて北大西洋理事会が行う。このような審議に第三国が口を出すことはない」というNATOの方針を持ち出した。要するに米国はウクライナへのNATO拡大はロシアには関係ないと主張したのである。

2022年2月21日。ロシアの安全保障理事会でセルゲイ・ラブロフ外相が米国の交渉拒否について詳述した:

我々は1月下旬に彼らの回答を受け取った。この回答を評価すると、西側諸国は我々の主要な提案、主にNATOの東方不拡大に関する提案を取り上げる用意がないことがわかる。この要求は、いわゆる門戸開放政策と安全保障を確保する方法を各国が独自に選択する自由があるということから拒否された。米国も北大西洋同盟も、この重要な条項に対する代替案を提案しなかった。

米国は、われわれが基本的に重要だと考え、これまで何度も言及してきた安全保障の不可分性の原則を回避するために、あらゆる手段を講じている。そこから同盟を選択する自由という自分たちに都合の良い要素だけを導き出し、それ以外のすべてを完全に無視しているのだ。それには同盟を選択する際にも、または同盟に関係なく、他国の安全保障を犠牲にして自国の安全保障を強化することは許されないという重要な条件も含まれている。

2022年2月24日。プーチン大統領は国民への演説でこう宣言した:

 過去30年にわたり、われわれは欧州における平等かつ不可分の安全保障の原則について、NATOの主要国と辛抱強く合意に達しようとしてきた。私たちの提案に対して、私たちはいつも皮肉なごまかしや嘘、あるいは圧力や恐喝の企てに直面し、北大西洋同盟は私たちの抗議や懸念にもかかわらず拡大を続けた。北大西洋同盟の軍事マシーンは動き出し、申し上げたように、まさに我々の国境に近づいている。

2022年3月16日。ロシアとウクライナは、トルコとイスラエルのナフタリ・ベネット首相の仲介による和平合意に向けた大きな進展を発表する。報道されたように、合意の基礎には以下が含まれていた: 「キエフが中立を宣言し、軍備の制限を受け入れれば、停戦とロシアの撤退が可能になる」。

2022年3月28日 ゼレンスキー大統領は、ウクライナがロシアとの和平合意の一環として、安全保障と組み合わせた中立の用意があることを公に宣言した。「安全保障と中立、わが国の非核地位、その準備はできている。それが最も重要な点だ・・・そのために彼らは戦争を始めたのだから」

2022年4月7日。 ロシアのラブロフ外相が、西側諸国が和平交渉を頓挫させようとしていると非難し、ウクライナが以前に合意した提案を反故にしたと主張した。ナフタリ・ベネット・イスラエル首相はその後(2023年2月5日)、懸案となっていたロシアとウクライナの和平合意を米国が妨害したと語った。ベネット首相は、西側諸国が協定を阻止したのかと問われ、こう答えた: 「基本的にはそうである。彼らが妨害し、私は彼らは間違っていると思った」。ベネットは、「ある時点で、西側諸国は “交渉するよりもプーチンを潰す “と決めたのだ」と言った。

2023年6月4日。ウクライナは大規模な反攻を開始するが、2023年7月中旬時点では大きな成果は得られなかった。

2023年7月7日。 バイデンがウクライナは155ミリ砲弾が「不足している」ことを認める。

2023年7月11日。ヴィリニュスで開催されたNATOサミットで、最終的な共同声明が発表され、ウクライナの将来はNATOにあることが再確認された。「我々はウクライナが自らの安全保障の体制を選択する権利を完全に支持している。ウクライナの未来はNATOの中にある… ウクライナは同盟との相互運用性と政治的統合を深めており、改革路線を大幅に前進させている」

2023年7月13日。ロイド・オースティン米国防長官、戦争終結後、ウクライナは「間違いなく」NATOに加盟すると改めて表明する。

2023年7月13日。 プーチン大統領が次のように述べた:

ウクライナのNATO加盟については、何度も言及してきた通り、これは明らかにロシアの安全保障に対して脅威をもたらす。実際、ウクライナがNATOに加盟する脅威こそが、特別な軍事作戦の理由、あるいはむしろその一つの理由である。これはウクライナの安全保障を何ら向上させるものではないと私は確信している。一般的に、世界をより脆弱にし、国際社会での緊張を高める結果となるだろう。したがってこれには何のメリットもない。私たちの立場はよく知られており、以前から明らかにされてきた。

https://www.globalresearch.ca/real-history-war-ukraine/5826091