仁風閣

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仁風閣
情報
用途 資料館
旧用途 池田家別邸、皇太子御宿所、迎賓館
設計者 片山東熊、橋本平蔵
施工 浜田芳藏
事業主体 鳥取市
管理運営 公益財団法人鳥取市文化財団
構造形式 木造2階建て
敷地面積 7,200 m²
延床面積 1,046 m²
階数 地上2階建
着工 1906年9月
竣工 1907年5月
所在地 680-0011
鳥取県鳥取市東町2丁目121番地地図
座標 北緯35度30分26秒 東経134度14分15秒 / 北緯35.50719度 東経134.2375度 / 35.50719; 134.2375座標: 北緯35度30分26秒 東経134度14分15秒 / 北緯35.50719度 東経134.2375度 / 35.50719; 134.2375
文化財 国の重要文化財(建造物)
指定・登録等日 1973年6月2日
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仁風閣(じんぷうかく)は、鳥取県鳥取市にある西洋館中国地方屈指の明治洋風建築として名高く、国の重要文化財に指定されている。フランス風ルネサンス様式を基調としている[1]

歴史[編集]

1906年鳥取城の扇御殿跡に、片山東熊の設計、橋本平蔵の監督によって起工し、翌1907年に竣工した。建築費は当時の金額で4万3335円。木造2階建て白亜塗りのフレンチルネッサンス様式で、1・2階共にベランダが設けられており、ガラス張りの2階バルコニーからは、市指定名勝である池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できる。館正面右の螺旋階段は支柱を用いない、ケヤキの厚板で支えられた独特の構造をしており、外にあるのはこれの角尖塔である。天井と壁に輸入壁紙を張り、床はアキスミンスターカーペットを敷いている[1]

鳥取藩池田仲博侯爵の別邸という名目であったが、当初より皇族の宿泊を意図して設計・建築されたとされる。完成同年に行われた皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の御宿所として利用され、館名は、これに随行した元帥海軍大将東郷平八郎が命名したもので、同人の筆による額が現存する。

明治以降は鳥取市の所有となり、迎賓館や公会堂として利用された。1943年鳥取地震で損傷し、この際の修復でスレート屋根が瓦葺に変えられた。1949年から鳥取県立科学博物館として、1972年に現在の鳥取県立博物館が完成するまで利用された。1973年国の重要文化財に指定された際に3年をかけて修復が行われている。現在は公益財団法人鳥取市文化財団のもとで管理され、館内には鳥取藩と池田家に関する資料などが常設展示され、および他の文化人(作家や歌人など)の所蔵資料が特別展として時折展示される。

建築概要[編集]

  • 設計 - 片山東熊、橋本平蔵
  • 施工 - 浜田芳藏
  • 起工 - 1906年9月
  • 竣工 - 1907年5月
  • 敷地面積 - 7,200m2
  • 延床面積 - 1,046m2
  • 構造・規模 - 木造・地上2階
  • 延経費 - 43,335円
  • 所在地 - 〒680-0011 鳥取県鳥取市東町2丁目121番地

利用情報[編集]

  • 開館時間 - 9時~17時(入館は16時30分まで)
  • 休館日 - 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始
  • 観覧料 - 一般150円(小・中・高校生は無料)

ギャラリー[編集]

交通アクセス[編集]

周辺情報[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ a b 本田榮二『ビジュアル解説 インテリアの歴史』秀和システム、  2011、468頁。